日吉町まちづくり推進協議会

宿の紹介

宿獅子舞
宿獅子舞
宿獅子舞 宿獅子舞

この地区の行事

いつ頃当地に伝わったか明らかではありませんが、館に書かれている年号から見て弘化年間(江戸後期)古老の話では三河の国から来たものといい伝えられています。

獅子舞では、「宮入」「頭前」「幕の内」「悪広払幣の舞」芸題物としては「勢州阿漕ヶ浦」「平治住家の段」「仮名手本忠臣蔵三段目」以上の舞を、昭和の始め頃まで神社の奉納舞としていました。頭前とは、はやしのみにて行う幕の内の前奏曲で、幕の内は幕持ちと共に舞います。悪広払幣とは幕持ちなしで獅子の頭のみにて鈴と幣を持って舞う方法で、昭和26年頃まで行われていましたが、その後、芸題物の台本がいつの間にか紛失し中断していました。昭和40年、区の若者が中心となって保存会ができ、昭和47年から白山神社への奉納が再現しています。

役付は、獅子頭1(雌)、笛・太鼓・鈴・幣各1、館1式、獅子舞の服装は、長襦袢・白足袋・紋付・着物・股引、笛太鼓の服装は法被となっています。
その他、人員先獅子1人、幕持1人、太鼓歌方各1人、はやし数人が役に付きます。

毎年9月初めに役者付けを行います。年齢は小学校低学年くらいから大人55歳前後までで、白山神社10月第1日曜日、酒波神社10月第2日曜日に奉納します。
祭日の約15日前から本格的に練習を始め、本祭り前日の夜、前夜祭として皆男手で本膳をもってふるまわれます。
郷社であった酒波神社への奉納は、宿洞の三ツ獅子が宿区内を通り過ぎないと宿の獅子は出かけられなく、封建時代の格式の厳しさを物語っています。しかし今では事情により宿洞の三ツ獅子は奉納されなくなり宿の獅子のみです。

奉納状況は、境内に入ると宮入ばやし、その後社頭において奉納舞をします。奉納舞が終わると、馬場を回る道行きばやしや津島の内ばやしで、にぎやかに渡御において再度奉納舞を行い、祭りは終ります。

この地区の観光

宿・日の宮道の榎(えのき)

宿の消器庫前に、目通り周囲二七五?という堂々たる榎(えのき)があります。
根元に大きな空洞ができていてそこに
左 日の宮大くて、 右 釜戸 岩村
と彫った石の道標(みちしるべ)がはまりこんでいます。
この榎の後ろは、長い間宿の倶楽部(くらぶ)が建っていた所で、そばに、天保二年(一八三一)建立の立派な村燈籠や村神社と刻まれた碑もありますから、ここは昔から宿の中の大事な場所であったと考えられます。
この燈籠は、村燈籠としては日吉で二番目に古く、村神社というのも市内では珍しいものです。
昔、織田信長が諸国の街道を整備して松や杉の並木をつくり、一里を三十六町と定めて一里塚を設け、そこに榎を植えさせたといわれています。
榎という字には、夏に枝葉を茂らせる木という意味があり、道行く人に木陰を与えるために植えられたものでしょう。
宿の榎も、古い道の辻に植えられていますから、旅人の目印にもなり、木陰を提供する役目も果し、子どもたちには、食える実のなる木として親しまれてきました。
樹形にも風格があり、日吉の名木の一つになっています。

宿獅子舞

ページトップ