日吉町まちづくり推進協議会

深沢の紹介

不動明王
篠ヶ洞の常夜燈
不動明王 篠ヶ洞の常夜燈

この地区の紹介

深沢への切山坂の途中から、御岳山が真正面に眺められ、先の噴火時には煙がよく見えました。その道を下り切ると深沢峡があります。山と川とが織りなす見事な風景で、戦前には、全国投票で日本十二景の一つに選ばれた景勝地です。また木曽川に流れ込む深沢川の谷間は、春にはシデコブシの白い花に埋めつくされ、心洗われるような清心な風景になります。
深沢の中心の山裾に、貴船神社が祀られ、元旦と春の大祭には、市文化財指定の獅子舞が奉納されます。深沢の東の端には篠ヶ洞があり、そのとば口に燈籠が、魔崖仏の道標として建てられています。燈籠から山道を三百メートル程入ると、川沿い岩に不動明王が線刻りで描かれております。今では風化が進み見えにくくなっており残念です。

深沢ではかっての二十二夜祭を発展させ、現在では夏祭りとして区民が、絵や俳句等を書き、絵燈籠を作り、夢広場を中心に数十本の絵燈籠を立てます。広場では、盆踊りや銭太鼓を招いたり、区民の各種団体が露天を出し、五平餅、氷菓子、焼鳥等いろいろ味わい楽しんでいます。平成18年には、始めて打上げ花火があげられました。
きれいな空気、月光明媚、人心温和、快適で住みやすいところです。

この地区の行事

貴船神社例大祭

今年は4月18日(日)開催されました。当日は朝から快晴で気温も20度近くあり、まさにお祭り日和でした。近年は「つつじ子供会」の会員が少ない(6人)ため子供会及び子供会役員だけでは御神輿を担ぐことができない状況です。そこで午前中に3台の御神輿で区内を練り歩き11時30分に灯篭様に集合、一旦休憩し午後からのお祭りに備えます。午後2時30分集合し、獅子舞の屋形を先頭に3台の御神輿を連ね貴船神社の神事に向かいました。4時からは深沢獅子舞も奉納され、その後16臼の餅投げを行い大祭を無事終了することができました。天候も良かったことから見物客もいつもの年より多かったようです。

深沢獅子舞奉納

元禄年間に疫病退散を祈願して貴船神社に奉納されたのが始まりといわれ、現在も例大祭、元旦祭で五穀豊穣及び厄払いのため獅子舞が奉納されています。
前日の17日(土)の花作りにより完成した‘花神輿‘を子供会会員により練り歩く。(子供会会員の減少で今後の運営が心配されます。)
18日(日)午後1時30分に集会所を出発、今年は東周りで2時30分までに灯篭様へ集合。途中少々お酒も入り、ご機嫌な人も。

この地区の観光

深沢堂ヶ洞の石仏石碑

深沢の字北堂ヶ洞を登る道の傍らに、25平方メートルほどのきちんと整えられた平地があります。そこは、昔アミダ原と呼ばれていた所の一部で、狭い場所にたくさんの石造物が残されています。
道から小さな石段を上った正面に、三体の石仏と二基の立派な石碑が並び、まん中の 唐(から)破風(はふ)型の笠のついた石塔に阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)の立像が浮彫りされています。
石塔の側面には宝暦7年(1757)願主念仏連中16人并惣(ならびにそう)村中(むらじゅう)と彫ってありますから、念仏講の人々が中心になり村中の人が協力して祀(まつ)ったもので、アミダ原という名もここからつけられていたものと思われます。
この阿弥陀様の右に地蔵様の座像があり、その隣の享保11年(1726)という古い立像も阿弥陀様のようです。
大きな石碑の一つには、奉請 善光寺阿弥陀如来 もう一つには、

奉請
西国 三十三ケ所
四国 八十八ケ所
秩父 坂東 六十七ケ所

と、太く深く彫られています。
善光寺の阿弥陀如来や、西国四国、秩父(ちちぶ)板東(ばんどう)各霊場の御本尊をお迎えして祀り、念仏やお経をあげていたと思われ、いずれも明治時代のものです。明治時代には、こうした信仰活動が日吉村中で広く行われていたらしく、各所に同様な碑が建てられています。なお、ここには、他に石仏が二体と八基の五輪塔が残っています。

深沢峡

木曽川の深い峡谷に高さ50m、長さ100mの吊り橋がかけられ、日本12秘勝の1つとなっていましたが、戦後、丸山ダムの建設によって峡谷はダム湖に変わり、美しい橋が架けられて観光船も走っていました。しかし、近年、橋までの道路が壊れてしまい、今はその大改修が強く望まれています。
現在の「五月橋」も橋の形式としては「吊り橋」です。


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